2020.07.23 upload
my funny hitchhiker インタビュー
PEALOUTのときのようなバンドはできないなと思ってたんですけど、不思議なことに、今、20代のような無邪気な感覚でバンドができてるんですよ
―― 近藤智洋
近藤智洋(gt,vo)、恩賀周平(ba)、宮下裕報(dr)のスリーピースバンドmy funny hitchhikerがアルバム『Two muffs beat as one』をリリース。8月5日からは全国のCDショップでも入手できるようになる。2018年に結成以降、去年だけで70本のライブを行うなど精力的にライブ活動をつづけてきたmy funny hitchhikerだが、今作が初めてのアルバム。「ファズをステレオで鳴らしたかったんだ!」という思いが込められたタイトルが示す通り、高密度のサウンドと感情をストレートに表現した歌が縦横無尽に疾走する完全無欠のロックンロールが鳴っている。バンド結成の経緯から初めてギター・ボーカルに挑戦した近藤智洋の心境、このバンドで目指したもの、なぜ2年間、作品をリリースせずにライブ活動のみを続けたのか、などを訊いた。
●取材・文=秋元美乃/森内淳
―― コロナの日々はどうお過ごしでしたか?
近藤智洋 生活がガラッと変わりましたよね。ちょうど4月からか。3月に大阪のライブから帰ってきて、4月からいろいろイベントがあるっていうときに中止になって。そこから怒涛のように……自分もやっぱりできないなと思っていたんで、自分でもツアーをキャンセルにしたり中止したりして。そこからずっと家にいるから、最初、具合が悪くなったんですよ。調子悪くなって、偏頭痛みたいなのもするようになって。今までそんなことなかったのにどうしたのかな、と思ったら、急に動かなくなって。パソコンとかばかりを見ているとそうなるのかな。身体を動かしたり散歩をするようになってから治ったんですけど。
―― この間、近藤さんは自宅ライブという企画をやっていたわけですが。
近藤 ライブをキャンセルした日に自宅でライブをして、それをダウンロード販売したんです。その売上でキャンセルしたハコにキャンセル料を渡したりとか。ちっちゃいハコだとキャンセル料は要らないっていわれるんですけど、でもなんかね、もしその売上をハコと半分ずつにできたらいいかな、と思って。そういう感じでライブをやってて、お客さんに対して発信するものがあったほうがいいのかなと思って、それは今でも週イチくらいのペースで続けています。なかなかライブができる感じにはならないですからね。しばらくは無理でしょうね。
―― コロナ禍じゃなかった場合、2020年は何をやろうというのはあったんですか?
近藤 1月からマイファニ(my funny hitchhiker)のレコーディングをしていて、本当だったら7月1日にアルバムをリリースして、そこから全国ツアーをやるつもりだったんですよ。それはもう全部ブッキングも終わってたんです。東名阪、北海道、九州、広島、東北。それが全部できなくなって。今年の後半はマイファニの全国ツアーを中心に、あとはソロライブをやりながら、みたいな感じで考えてたんですけどね。
―― じゃ今年はマイファニのファーストアルバムとツアーで1年間を……
近藤 やっていこうかなと思ってました。今、ライブハウスの土日をおさえるのが大変になってきたので、2月くらいにはだいたいブッキングをすませていたんです。ブッキングできてよかったって思っていたところにこうなっちゃったんです。
―― 近藤さんはいろんなプロジェクトを同時に走らせていますが、自分のなかではどういうペース配分をしているんですか?
近藤 基本的にはあんまり考えてないんですよ。やれることをやろうという感じだったんですけど、最近はマイファニの比率が大きくなってきたのかなっていう。今まであんまりそういうことはなかったんですけどね。いくつバンドをやっても並行してできてたんですけど、今はマイファニをもうちょっとガツンとやっておきたいなっていう気持ちにはなってますよね。
―― それは何か理由があるんですか?
近藤 例えばPEALOUTをやったときって、自分の人生のなかで一番大事というか、20代で組んだバンドで、ファミリーみたいな感じでやってきたんですね。そのときはソロもやってなかったしPEALOUTだけの活動をずっと10年間やってきたんですね。で、40代になってからのバンドっていうのは、ちょっと関係性が大人というか、みんなそれぞれのバンドがあって、持ち場があって、その上で集まってやるから、ある意味、クールというか、すごくプロフェッショナルなんですよ。大人になったし。あれは若い頃の特権だったりするからPEALOUTのときのようなバンドはできないなと思ってたんですけど、不思議なことに、今、20代のような無邪気な感覚でバンドができてるんですよね。3人で常にいろんなことを喋ってるし、すごくいい感じで3人の関係ができているし。マイファニをガツンとやっておきたいというのは、20代みたいなバンドをやれているのが大きいのかなと思いますね。それに、自分の経験として、この関係性もたぶん変わっていくんだろうなっていうのはわかってるし、それがずっとつづいていくわけではないし。だからこそ今が愛しいというか。一回経験したことをもう一回経験してもいいじゃんって。
―― あらためてバンドの面白さに目覚めたわけですね?
近藤 そうですね。
―― 今回はスリーピースのバンドなんですけど、スリーピースに対する思い入れは何かありますか?
近藤 やっぱありますよね。三角形の3点でしかおさえられないというか、誰か欠けると堕ちてしまう危うさ、3人が均等に支えてないとこの器は支えられないから、一人が手を抜いたら堕ちてしまう。そのスリリングさにしびれるというかね。誰も手を抜けない感じがいいですよね。
―― 結成は2018年なんですよね。
近藤 2年前ですね。
―― そもそもあらたにバンドを作ろうと思ったのはどうしてなんですか?
近藤 ソロとかバンディッツ(・リベレーション)はもうちょっとフォークだったりポップだったりするんだけど、その対極にあるやつはどこかでやりたいなというのがあって。ハードなものというかギターが歪んだものをけっこう自分のなかで欲していたんです。Everything Breaksがそうだったんですけど、2015年に解散して。じゃ次に何をやりたいかっていったときに、トリオをやりたいな、と思ってたんですよ。PEALOUTのときはベース・ボーカルとピアノ・ボーカルでやってたんで、やったことのないギター・ボーカルをトリオのシンプルな編成でやりたいなというのが漠然とあって、それをずっと考えていたんですよね。
―― 音ありきでメンバーを集めたわけですね。
近藤 メンバーを誰にしようかっていったときに、ヒロ(宮下裕報)のドラムがすごくいいから、彼とやりたいなというのがまずあって。ベースは恩賀周平なんですけど、Everything Breaksでも彼とは一緒だったんですね。彼はバンドが解散した後も定期的に連絡をくれてたんですよ。「近藤くん、飲みに行きましょうよ」って。で、話してると彼は俺と一緒にバンドをやりたそうな雰囲気があったんですよ。ただ言わないんですよ、「やりましょう」とは。実は俺も、前に一緒にやった人とはやらないっていうポリシーがあって、メンバーを変えてやりたかったんですよね。だから周平くんを誘うこともなかったんですけど。そうやって2年くらい経ったときに、俺の音楽を気に入ってくれて、声や歌が好きで一緒にやりたいって思ってくれてる人がいるんだったら、前にやったことがあるとかないとかじゃなくて、そう思ってくれるメンバーとやるのが一番いいのかなと思ったんですね。周平くんはドラムのヒロとも仲が良かったので、2年前に「こういうバンドをやりたいんだけどどうかな」って話をしたら、「ぜひやりましょう」っていうふうになりましたね。
―― マイファニを結成したときには近藤さんのなかではすでにサウンドのビジョンは固まってたんですね。
近藤 そうです。ギターが歪んでるということとスピード感がある性急な感じ。それが自分のなかにあって、例えて言うと、Power of DreamsのファーストだったりOrdinary Boysのファーストだったり。なんかこう胸がわーっとなるようなバンドをやりたかったんです。
―― この作品の前にソロ3部作がありました。その3枚目のときにソロ活動13年目にしてやっと自分の音ができたとおっしゃってましたよね。そのソロ作は自宅のスタジオにこもって一人でつくられていたんですけど、その反動みたいなものもあったんですか?
近藤 たぶんありますね。すごいミニマムな音作りをしてたんで、そういった意味での反動でデカい音っていうか静じゃない動のほうも両方やっておきたいというのがあったんですよね。そこでバランスがとれる、みたいな。ただひとつ問題があったのは、俺がギターをやりたいっていうのはいいんだけど、コードしか弾けなくて、ギターソロが弾けないんですよ。
―― バンドでのギター・ボーカルは初めての試みなんですよね。
近藤 バンドを結成してから「あれ、ギターソロってどうやって弾くんだろう?」と思って(笑)。対バンするバンドにすごいギタリストがたくさんいるから「ギターソロってどう弾くの?」っていろんな人に訊いて(笑)。そこから中学生がやるみたいなペンタトニックスケールからスタートしました。2人の力量は、俺はわかってたんだけど、2人は俺のギターの力量をわかってなかったという(笑)。ただ2人に関してはばっちりで。スタジオに入るときにモチーフになる曲を毎回持っていくんですよ。1曲目に「OK」っていう曲を持っていって合わせたら思った通りのドラムとベースで「ああ、もうこれでばっちりだ」ってなりましたね。
―― このアルバムのサウンドは強固なものがあります。
近藤 ベースの恩賀周平がサウンドプロデューサー的なことをやってくれるんですよ。けっこう俺たち、アレンジも漠然とやるんですよ。そうすると「ここのリズムはこんな感じにしてみませんか?」みたいな提案をどんどんしてくれて。ドラムのヒロに「ドラムはこういうパターンで叩いてみて」みたいな感じでアドバイスしてくれたり。そういった意味でサウンドが固まりやすいというか。俺が詞曲を書いて、周平がアレンジをして、みたいな役割分担がしっかりしてるんです。最終的にこのアルバムもミックスとマスタリングは彼が全部やってくれました。
―― レコーディングエンジニア的な役割までやったんですか!?
近藤 そうそう。けっこう任せるところは任せてて。例えばGHEEEだったら深沼(元昭)くんにサウンド面は任せたりとか、だんだん僕もそういうのを覚えてきたので、今回もやりやすかったですね。その代わり詞曲に関しては俺に任せてって感じで。
―― マイファニを結成して2年目で今回のファーストアルバムができましたが、それまではライブばかりやっていて。作品を2年間リリースしなかったのには何か理由があるんですか?
近藤 それはね、核となる曲ができるまでは待とうと思ってて。曲自体は1年目に10曲くらいはあったんですけどね。今は20曲くらいあるのかな。だからレコーディングをしようと思ったらできたんだけれども、なんか「もうちょっと、もうちょっと」と思って。「これだ」という曲ができたらレコーディングしようと思ってGOサインが出るのを待ってて。去年の夏に「Music」という曲ができて、「あ、これでいけるかな」と思いつつ、でももう一つピースがあるはずだ、と。それが揃うとばっちりだろうなと思っていたら、10月くらいに「HITOTOWA」という曲ができて、「これでばっちりだ」と。それで2019年の年末までライブをやって、手応えを感じたので、じゃレコーディングをしようかということで1月からレコーディングをはじめました。
―― これはまだちょっと違うなというのはどの辺に一番感じていたんですか?
近藤 やっぱり言葉も大きかったですね。マイファニとしての姿勢をちゃんと出せる言葉があるかどうかっていうことと、あとはもう単純に曲かな。曲の力強さというか、堂々とした曲というか。なんか揺るぎなさみたいなものが欲しかったというか。
―― そこに行き着くまでに2年くらいかかった、と。
近藤 そうですね。結果的に2年かかりました。
―― その間はそういう曲を作ろうという試行錯誤はあったんですか?
近藤 コンポーザーとしてはそこを目指していたし、どちらかというと、そういう曲ができるまで2年くらいかかるかなと思ってたので、その2年間でライブをいっぱいやっておきたいというか、バンドとしての土台を固めておきたいというのがありましたね。2019年は全部で40本くらいやったのかな、ライブを。何もリリースしていないのに。2ヵ月に一回、大阪と名古屋に行こうと決めて、ブッキングして行ってたんですよ。
―― 武者修行ですね。
近藤 そうそう。だから2019年だけでも大阪、名古屋、広島、福岡、札幌、小樽、仙台、弘前、静岡、和歌山と音源がなくてもまわったんですよ。ライブばっかりやって、みんなで旅をすることで、バンドの土台が作れたかなあって。ちょっとずつバンドも進歩していって。まぁもちろんライブの出来の良し悪しはあるんですけど、ちょっとずつ進歩していく感じはありました。そのなかでこの2曲が出てきたのは大きかったですね。
―― それだけ武者修行を積んでいれば、今作のレコーディングはスムーズだったんでしょうね。
近藤 と思いきや、意外とそのライブ感ばかりを優先していたので、テンポがどんどん早くなっていて、「これ、ちょっとやばいぞ」ってことになって。「HITOTIOWA」という曲が一番大変だったんですけど。全員が全員、曲の途中でぐいっと早くなるんですよ。同じところで早くなって、早くなったまま終わるという(笑)。最初のテンポと10くらい差があって。同じテンポでやろうってやり始めたら、途中から遅すぎて耐えられなくなったんですよ(笑)。今まではライブの通しリハばかりやってたんですね。だから、もうちょっとちゃんとレコーディングのためのリハをやろうということになって。レコーディングに入ってからはもうばっちりでしたね。そこからまたね、バンドがよくなったんですよ。それが3月くらいか。バンドがかなりよくなったなと思ったときにコロナが来ちゃったんですね。
―― レコーディングを通して、バンドや曲をあらためて俯瞰して見ることができたわけですね。
近藤 できたんですよ。
―― ここで初めてマイファニが完成した、みたいな。
近藤 そうです。
―― 最初に近藤さんが思い描いていた分厚いサウンドのビジョンをライブではなくてレコーディングに落とし込むのはそれなりの大変さがあったわけですね。
近藤 そうですね。それと同時に楽しさもありましたけどね。
―― というと?
近藤 アルバムタイトルにもしたんですけど「Two muffs beat as one (ファズをステレオで鳴らしたかったんだ)」っていうことなんですけど。今回、ギタリストとして初めてのレコーディングだったんですよ。ギターって一本入れるじゃないですか。もう一本同じギターを入れて、それをステレオで鳴らしてというのは普通に誰でもやってることなんだけれども、それがやりたくてしょうがなくて。最初に「Music」をレコーディングしたときに、ファズ・ギターを2本録って、ステレオで鳴らしたときに「俺はこれがやりたかったんだよ!」みたいな(笑)。やっぱり楽しかったですね。ギタリストってこんなにレコーディングが楽しいんだと思って。あいつら、こんなに楽しんでたんだな、と思って(笑)。
―― ギタリスト目線で何か新しい発見はありましたか?
近藤 発見というよりも、ギターのことが気になってしょうがなくて。恩賀周平がミックスしてくれたんですけども、だいたい毎日電話がかかってくるんですよ。こんな感じで進んでます、みたいな。こっちはギターのことしか言わないんですよ。「このギターをちょっとこっちに定位をずらして」とか「こういう感じで」とか。そしたら周平に「近藤くん、歌のことは何かないんですか?」みたいな感じで言われて。「歌はもう大丈夫じゃない?」って(笑)。ソロの作品はアコギから何から全部やってるんですけど、バンドサウンドで全部ギターを自分で弾いてっていうのは初めてなので、自分にとってもめっちゃ新鮮ですね。それがアルバムの初々しさを出しているんじゃないかな(笑)。
―― あらためてこの作品を聴いて、ギタリストとしての近藤さんをどう評価してますか?
近藤 かっこいいなあって(笑)。
―― はははははは。
近藤 自分で聴いて、めっちゃかっこいいじゃん、このギターって(笑)。もし自分が中学生でこのアルバムを聴いたら、バンドやりたくなるだろうなって(笑)。
―― じゃもうギタリストとしても大満足な1枚なわけですね。
近藤 そうですね。作りたかったバンドが作れたなあって感じですね。
―― 何をやりたいかすごくはっきりしたアルバムですよね。
近藤 そこを明確にしたという感じですよね。
―― 疾走感というか……
近藤 そうなんです。この2年間のライブも、例えば30分の持ち時間のステージだったら、ほとんど曲間なしで全部曲をつなげてやるみたいな。そういうライブばかりやってたんですよ。そういう練習ばかりしてたんです。
―― MCとかもなくて?
近藤 1曲はじまったらずっとケツまで1曲みたいな。曲と曲とのつなぎをどうしようかってことばっかりずーっとリハでやってたんですよ。どうやってかっこよく次の曲に行こうかって。
―― ボーカリストとしても感情を表に出した表現がすごくバンドに合っていると思いました。
近藤 そうかもしれないですね。あとEverything Breaksの周平と一緒だったから、そのときも彼が音を作ってくれていて、俺の歌のことをすごく知ってくれていたし。それもあって俺と一緒にやりたいと思ってくれてたんだろうから、そういった意味で、さっきミックスのときにボーカルのことを言わなかったって言ったけど、あまり言う必要がなかったんですよ。彼がわかってるから。「何を聴かせたいかって言ったら、近藤くんのボーカルを一番聴かせたいんですよ」みたいな。「あとは伴奏でいいんですよ、伴奏で」みたいな。そういった意味で、轟音なんだけども、歌がちゃんと真ん中に鳴ってる音が作れてるかな、と思いますね。
―― 歌詞に関してはどうですか? このバンドならではのテーマは何かあったんですか?
近藤 弾き語りとも違う、もうちょっとこう、日常で感じてるいろんな思いだったり怒りだったり、そういうのを自分の言葉で歌えているのかなっていう気はするんですけどね。
―― ソロのときには内面に光が当たったようなメッセージが多かったと思うんですが、今作では外に向けたエネルギーが強くなっているような印象があります。
近藤 それはあると思いますね。とくにソロ作品の『塔』は個人の、自分の内面とかそういうところに光を当てて作ったアルバムだったし。そういった意味で、バンドをやることによって、社会性というか人とのつながりとか、そこから出た思いだったり、みんなが感じてることを話したりするなかで思うこととか。真ん中のことを歌っていたのがもうちょっとまわりのことを、外を向いて歌詞を書きたいと思いましたね。
―― 轟音と疾走感と感情がむき出しになったアルバムで、本当に流行ってようが流行ってなかろうが……
近藤 関係ねえよ、みたいな(笑)。
―― そんな感じのアルバムになりました。
近藤 でもこれに引っかかる人は必ずいるはずなんで。今、ないから、こういうアルバム。2年前に結成したときに轟音とスピード感のある、生き急いでいるようなバンドをやりたいと話していて、そのままのアルバムができたなと思います。ちゃんと2年間で形にできたので、今はすごく嬉しいです。
―― コロナ禍でライブができない状況がつづきますが、今後のマイファニでやりたいことはありますか?
近藤 実はマイファニでアコースティックライブもやろうと思ってたんですよ。カホンとベースの周平はもともとギタリストなんで、ギターがめっちゃ上手いんですよ、俺なんかより(笑)。彼がエレキを弾いて、俺がアコギを弾いたりピアノを弾いたりして、別の面から同じ楽曲を表現したライブをやろうと思ってたんですけど、今はライブができないから、the other sideじゃないけど、この作品のなかから数曲アコースティックでやって、それを秋くらいに録ってダウンロード販売か何かの形でリリースしたいなとは思っています。
© 2020 DONUT
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INFORMATION
my funny hitchhiker 1stAL 『Two muffs beat as one』
2020年7月1日(水) mfh records web shop リリース
2020年8月5日(水) 全国CDショップ リリース
収録曲:1. 風と花/
2. Music/
3. HITOTOWA/
4. OK/
5. Love is life/
6. 本能/
7. 青すぎる空/
8. スクリーム・ドリーマー/
9. 荒野行長距離列車/
10. The Hitchhiker/
11. My sunset/
12. スープはいかが?
※ LIVE INFORMATION は公式サイトでご確認ください。
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