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2020.03.11 upload

上田ケンジ インタビュー
ジャンク・パーカッションvsアコースティック・ギターvsスターリン。そこにミチロウさんの歌詞を自分が歌うということを混ぜてみたら「好きなかたちになってる」と思った
――上田ケンジ

80年代、KENZI&THE TRIPSのベーシストとしてパンク・シーンの一翼を担った上田ケンジは、TRIPS解散後、the pillowsの初代ベーシストとして活躍。バンド脱退後は、あるときはベーシストとして、あるときはプロデューサーとして、ゆず、小泉今日子、長渕剛など、おおくのアーティストと共に活動している。その上田ケンジが2020年3月1日に初のカバー・アルバム『スターリンが聴こえる』をリリースした。スターリン・ナンバーを、アコギをかき鳴らしながら熱唱している作品なのかと思いきや、まったくちがうサウンドに仕上がっていて、驚いた。ポエトリー・リーディングのように淡々と響く上田のボーカル、クールでアヴァンギャルドなサウンド。アコギはもはやサウンドを構成するひとつの楽器にしかすぎない。スターリンのカバー・アルバムではあるが、彼のプロデューサーとしての手腕を示した斬新な作品でもある。この作品を作った経緯、ユニークなアプローチのサウンドになった理由などを、上田ケンジに訊いた。

●取材・文=森内淳

―― まず、上田さんと遠藤ミチロウさんとの関係を読者の皆さんに教えてもらえますか。

上田ケンジ ミチロウさんとはけっこう昔から知り合いで。20世紀最後のスターリンっていうのがあって、そこでスターリンは一旦終わりですよ、みたいなことでイベントがあったんだけど。そのとき、3〜4バンド出たんだけど、そのなかで、俺とThe Birthdayのキューちゃん(クハラカズユキ)とギターの春日(弘)とボーカルがBAKIちゃんの4人でバンドを組んで、前座をやらせてもらったのね。前座のなかのメインアクトみたいなことで。で、そのあとも、ミチロウさんと対バンしたときなんかに、自分のバンドのなかにミチロウさんに入ってもらったり。そのときもスターリンのカバーをやらせてもらったりとか。

―― けっこう、なんだかんだ繋がりはあったんですね。

上田 ただ個人的にお会いしたり、どこかに食事に行ったりとか、そういうことはなかったんだけどね。

―― 上田さんはスターリンに参加されていますが、どういう経緯だったんですか?

上田 2008年頃に、Sunset Liveっていう福岡の夏フェスがあったんだけど、その出演者として、小泉今日子さんのバンドが出たのね。ぼくはそのバンドのバンマスだったから、一緒に行ったんだよね。その夜、バンド・メンバーと小泉今日子さんと食事をして「飲みに行こうか」ということになって、知り合いの店に行ったんだよね。元HEATWAVEの渡辺圭一の店なんだけど。そこにミチロウさんと池畑(潤二)さんと元THE MODSの梶浦(雅裕)さんとかいろんな人たちがいて一緒に飲むことになったんだけど、最後、みんなが酔いつぶれたときに、ミチロウさんはお酒を飲まないんで、ぼくとミチロウさんと小泉今日子の3人で座組になって、朝方まで喋ってたんだよ。そのときに「もしも今後、ミチロウさんがスターリンをやることになったら、誘ってもらったら嬉しいです」って言って、電話番号を交換させてもらったの。

―― そういうことがあったんですね。

上田 で、その3年後に2011年に震災が起きて、PROJECT FUKUSHIMAをミチロウさんがやることになって、そこでスターリンをやるということになったんだけど、スターリンは、3.11以降「THE STALIN246」って名乗るんだよね。午後2時46分って、地震の発生時間なんだけど。その2回目か3回目のときに、メンバーのひとりとして呼ばれたの。「上田くん、あれから3年くらい経ってるけど、一緒にやらないか」って。たしか2012年だったと思う。そこから最後までベーシストとしてやらせてもらったの。ぼくと茶谷(雅之)くんと(山本)久土くんの3人、それとミチロウさんでスターリン246として活動させてもらったんだよね。

―― そのミチロウさんは2019年に亡くなりました。

上田 亡くなる前のカテーテルの手術があって、それで復活して今度は膵臓癌になった。最初のときはメールが返ってきてたんだけど、最後はメールをしても返ってこなくて、嫌な予感はしていたんだけど。

―― 亡くなった報せはどうやって受けたんですか?

上田 ニュースで知ったかな。本当に親しくしてた人たちは知ってたみたいなんだけど、ぼくはあんまりつるんだりすることはしていなかったから。だから普通にニュースで知った。本当に寂しかった。ミチロウさんは優しい人でね。あれは福島のイベントのときだったかな。ぼくのマネージャーもついてきたんだよ。100人くらい出演者がいて、現場は大変だったんだけど「小林さんも来たんだね。泊まってく?」ってミチロウさんが言って。マネージャーが「自分で宿を手配するから大丈夫です」って言ったんだけど、ミチロウさん自らホテルにわざわざ電話をかけて「1名追加をお願いします。小林さんという方です」って、ぼくのマネージャーのために宿を手配してくれて。本当に優しいし、素晴らしい人だった。それから、人格者であると同時に、頭のなかがどうなってるんだっていうくらいの歌詞を書く人でもあって。あの詞の世界が素晴らしすぎて。

―― 上田さんにとってスターリン246に参加したことは大きな経験になりましたか?

上田 大きかった。やっぱり子供の頃から、スターリン、スタークラブ、ルースターズ、アナーキー、ARB、モッズっていうのは憧れだった。そこにまさか自分が入って演奏するなんて思わなかったですね。まわりの人からは「羨ましいな」って思われてた。ミチロウさんと一緒にやれてるっていうのは本当に素晴らしかったね。あの当時と一緒のテンポでやるからね。あのとき、ミチロウさんは60歳を越えてて「きついんだよね」って言ってたけど(笑)。「もっとスターリンの曲をやりましょうよ」って言うと、「スターリンは速いから、きついんだよ」って(笑)。だけど臓物とかも投げてたし、豚の頭も持ってきてたし。

―― ファン・サービスを忘れないわけですね。

上田 そうなんだよね(笑)。

―― バンドに参加するとなると、スターリンの曲を一度に覚えないといけなかったわけですが。

上田 じゃこのセットリストでって、ミチロウさんから曲名だけが20曲くらいメールで送られてくるんだけど、スターリンのアルバムは全部持ってるから、じゃちょっとやってみるかって、自宅でやってみたら、その場で全曲、弾けた(笑)。だから、ただのファンなんだよ(笑)。ベースラインを歌えるから、場所さえわかれば、ここはこうだってわかっちゃう。だから構成とかをちょっと確認するだけで、すぐに弾けた。例えば、PUFFYのバックをやったときに「アジアの純真」を譜面を見ないで弾けたのと一緒だと思う(笑)。そう言えば、こういうことがあったな。あのね、スターリンはライブ前のリハーサルは一回だけなんだよ。あれは二回目のライブの前かな、リハーサルの日に大雨が降って、雷が鳴ってて。たしか1年ぶりくらいのスターリンだったんだけど、ミチロウさんがリハスタに現れなくて。「ミチロウさん、来ないね」って言ってたら「雷が鳴っているうちは家から出られません」っていうメールがミチロウさんから来て(笑)。その日は雷がやまなくて、けっきょく、ミチロウさんは来なかったの(笑)。

―― ライブはぶっつけ本番?

上田 ぶっつけ本番(笑)。だけど全然問題なかった。ミチロウさんは全盛期のパワーのまんまなんだよね。声量も最後まで大丈夫だった。そこが本当にすごい。

―― 今回、ミチロウさんの曲のカバーアルバムをリリースしたわけですが、ちょっとカバーしてみようっていうのとアルバムを作るのとでは、そこにかかるエネルギーもちがうのですが、一歩踏み込んでアルバムにしようと思ったのはどういうきっかけだったんですか?

上田 ミチロウさんが亡くなったあとに、何かミチロウさんのためにできることがないかな、と必死で考えて。みんなで集まってスターリンの曲を演奏したりとか、そういうこともやるんだけど、自分にしかできないことが何かないかな、と思って。それで「ロマンチスト」を自分なりに作り変えてやってみようかな、と思ったのが、このアルバムを作るきっかけになっていくんだよね。

―― 「ロマンチスト」のカバーがきっかけだったんですね。

上田 去年、ミチロウさんが亡くなってすぐのときに、札幌でぼくの弾き語りライブがあって、そこで初めて「ロマンチスト」のカバーをやったんだけど、それが思った以上にしっくりきて。「このやり方だったらミチロウさんの曲をカバーできるかもしれない」と思って、次に「玉ネギ畑」をやったんだよ。それもなんかピタッとフィットして。お客さんや対バンの人たちの反応もすごくよくて。そのときは札幌の友達が見に来ていて、すごく喜んでくれたんだよね。「これ、もっとやった方がいいよ」って言われて。次に東京でやったときは、武藤昭平と佐藤タイジとの対バンだったんだけど、すごく褒めてくれて。自分もフィットしてるし、もうちょい進めてみようと思ったときに「とりあえずレコーディングをやってみようかな」と思ったんだよね。ただミチロウさんのカバーは半端な気持ちじゃできない。で、一週間くらい考えて、とにかく自宅でひとりでやれるところまで全部やってみようっていうことになったときに、じゃどういうものを作っていくべきかということを本格的に考えたのかな。

―― その答えがアコギによるカバーだったんですが、そこに着地した理由はありますか?

上田 まずアコースティックでありたいな、と。アコギがずっと聴こえているような作品にしたいな、と。それはライブもやりたいからっていうのもあるし、アコースティックでスターリンをやるとどうなるか?っていう面白さもあった。もちろん自分でも聴いてみたかったしね。

―― ただアコースティックと言っても、晩年のミチロウさんがやっていたようなアプローチでやっても意味がないですよね。

上田 YouTubeにミチロウさんのアコースティック・ライブの映像が残っているけど、それもすごいからね。だからミチロウさんと同じことをやろうと思っても、ぼくは絶対にできないから、そうじゃない表現っていうのを考えたんだよね。

―― とはいえ、スターリンの曲をウェットなアレンジで歌い上げてもちがうし。

上田 そうなんだよね。ドライな感じっていうのが絶対に必要で。だから少し打ち込みっぽく聴こえるようなループ感みたいな、そういうドライさを出してみたんだよね。熱い演奏もしなかったしね、ベースとかも。むしろ繰り返すだけ、というか。だから、歌詞はすごく聴こえるような仕上がりにはなってる。あの歌詞を熱唱したところで、どうなんだろうと思って。逆に自分の感情をそこまで入れない方が、読み物のような感じで伝わった方が面白いんじゃないかと思ったんだよね。だからCDには歌詞カードもあえてつけなかった。これは「聴く歌詞」だな、と思って。ミチロウさんの歌詞は字面だけ見ると、また別物になっちゃうし。サブスクでも何でもいいんだけど、メロディやアレンジと一緒に聴いてもらった方がいいんじゃないかって思った。

―― アコースティックといっても、アプローチが現代的というか、まずもってリズム・トラックが普通じゃないですよね。

上田 普通にドラムが入っちゃうと、アコースティック感がなくなっちゃうな、と思って。それで「リズム・トラックには楽器を一切使わないで録る」という決め事を作った。例えば、机を叩いたりとかテレビ台とか、シェイカーなんか使わないで、ダンボール箱のなかにショート・パスタを入れて振ったりとか。ジャンク・パーカッションを使って、アウトサイド的な、マイノリティな発想の音楽作りをやってみたんだよね。

―― そのジャンク感っていうのは、ある意味、スターリンの音楽にも通じるものがありますよね。

上田 質感とかね。サウンドの質感がちょっと普通じゃないな、みたいな。これで普通に巧い人を呼んでやっちゃったら、それは面白くないなって。スターリンのイレギュラーな要素だったり、不良みたいな感じだったりとかを上手く表現するにはどうしたらいいかって、すごく考えた。

―― それでこのリズム・トラックにたどり着いた、と。

上田 リズムを聴いたときに、何かちょっと変だなっていうニュアンスが表現できればいいな、と思った。例えば、ヒップホップが世に出てきたときと少し似た発想というか。黒人の人たちがその辺にある音楽をかけてラップしたらヒップホップになった、みたいな。それでああいう質感の音楽になっていったと思うんだけど。それとちょっと似てるかな。

―― 真っ当じゃないことをやりたいという。まさにパンクという(笑)。

上田 横道にそれたことをやりたかった。ただ、ここにたどり着くまでには、自分を問い詰めるっていうか、すっごい試行錯誤があった。絞り出して絞り出して、最後に「これだ」っていう感じだったね。

―― あ、そうなんですか。プロデューサー的直感とか閃きではなくて?

上田 だから、全然使われていないトラックもいっぱいあって、4曲目くらいまでレコーディングをやったあとに、録り直したからね。最初、やっぱり熱かったり、暑苦しかったりしたんだよね。あとね、真面目。真面目になりすぎて「重いわ、これ」っていう。「こういうんじゃないんだよ。もっとスパーンと行かないと」っていう。そう思ったときに、ざっくりしたものができ始めて。「水銀」とか。「あ、これくらい行っちゃって、全然、いいんだ」ってことがわかって。それで全部録り直して。ひとりでやってるとね、意識して適当にならないと、すぐに真面目になっちゃうから(笑)。

―― ミチロウさんへの思いもあるし、ミチロウさん自体がそもそも真面目な人だから、そこに引っ張られますよね。

上田 そうそう。

―― スターリンの音楽はそういう部分がダイレクトには見えないように工夫してありますからね。ギミックと言ったら言い過ぎでしょうけど、ミチロウさんなりのギミックは施してあるというか。

上田 「これが正解なんです」っていう崩し方だよね。そこはパンク・ロックっていうかさ、パンク・ロックって、すごいそういうものなんだと思うんだよね。それをまた真面目になってやっちゃったわけ。出来るから。初期衝動をちゃんと表現できるアルバムを、例えば『BRAVO JOHNNYは今夜もHAPPY END』みたいなアルバムを人生でもう一回作ってみたかったんだよ。要するにこのアルバムはパンクなんだよね。今回、スターリンの曲をボサノバやブルースのアレンジでやっているんだけど、別にそれはオシャレにやろうと思って、やってるわけじゃないんだよ。

―― いわゆる既成概念を超えていくという意味でのパンクですよね。

上田 そういうことだね。

―― 結果、『スターリンが聴こえる』はとても斬新なアプローチの作品になりました。

上田 なんかやるときに必ず一個は発明を入れないと、みんなに長く聴いてもらえないと思っていて。それは本当にちょっとしたアイディアなんだけど、今回はそれが「これでいけるな」っていう。ジャンク・パーカッションvsアコースティック・ギターvsスターリン。そこにミチロウさんの歌詞を自分が歌うということを混ぜてみたら「あ、なんか俺の好きなかたちになってる」っていう。普段、聴いてる音楽とか、エイミー・ワインハウスとか、最近だったらビリー・アイリッシュとか、ああいうちょっと無骨な感じというか。ヒップホップ的なんだけど、ヒップホップ好きじゃない人も聴けるというか。「なんかわかんないけどかっこいいな」みたいな質感は常に目指してやってきてるからね。普段のプロデュースの仕事ではこういう質感の音楽を作ってくださいっていうのはないからね。自分のところのアーティストに「こういうの、どう?」って少しだけ要素を入れていくんだけど、ここまで振り切ると、みんな嫌がっちゃうんだよね(笑)。だったら自分でやるしかない(笑)。久々に矢面に立とうかな、と思って。

―― それもパンク精神でいいと思うんですけど(笑)。レコーディングはどういうふうに進んだんですか?

上田 自宅のスタジオでリズム・トラックを作って、アコギを入れてベースを入れて。それから歌を入れて。最後に、やっぱりエレキ・ギターもほしいな、と思って、ヤマジ(カズヒデ)にお願いして、スタジオを借りてエレキを1日で入れてもらって、その音源を持ち帰って、今年の正月に7日間くらいでミックスを全部やったのかな。

―― 最後にエレキ・ギターを入れたのはどういうアイディアなんですか?

上田 ピロウズを辞めたときにdipに誘われたことがあるのね。「プロデュースとかバック・バンドとか、いろんなことをやるよ」って言ったら、「じゃいいや」ってなって。それ以来、ヤマジとは30年くらい喋ってなくて。で、一昨年(2018年)、フジロックに海の底バンドで出たときに、ヤマジと百々(和宏)の部屋に泊まることになって「なんか一緒にやろうか」っていう話になって、百々と俺とヤマジと高橋浩司でダムドのコピー・バンドをやったりしてたんだけど、途中で、ヤマジと「女性ボーカルを入れてなんかやろうよ」っていう話になって、BUGY CRAXONEのゆきちゃん(すずきゆきこ)を入れて「3月のバンド」というのを作ったんだよ。そのときにあらためてヤマジのギターがすごくなんか独特だなあ、と思って。昔からヤマジのギターはすごく好きだったし、ヤマジはミチロウさんとも深くやってたし。

―― フジロックでの30年ぶりの会話からこの作品につながったわけですね。

上田 で、「今、こういうのを作ってんだけどさ」と言ったら、「じゃ“STOP GIRL”をやろうよ」ってヤマジが言ってきたんだよ。だけど、そのとき、もうボサノバのアレンジで録っちゃってたんだよね。そしたらヤマジが「俺もボサノバにしたよ」って、デモテープをLINEで送ってきたら、同じアレンジだった。信じられないくらいに同じで。それがグループ・ラインだったんだけど、俺のアレンジを送ったら、仲間がみんな静まり返っちゃって。一緒すぎて気持ち悪いから(笑)。キーが少しちがうだけ(笑)。すっごいびっくりした。たぶん、世の中にスターリンの「STOP GIRL」をボサノバ風にアレンジしようと思ったのはふたりしかいないんじゃないかな(笑)。そのふたりが一緒にバンドをやってたという(笑)。それでやっぱりヤマジにお願いしようっていうことになって、「エレキ・ギターを入れるときになったら連絡するよ」って言って。

―― とはいえ、上田さんのアレンジってアコースティック・ギターとジャンク・パーカッションの時点で完結していたわけで、そこにエレキ・ギターを入れようという発想はどこからきたんですか?

上田 自分のアイディアひとつだけでやってるから、自分としては部分的につまんないところがあったんだよね。「ここ、もっと何かあるな」って。それは音を増やすことなのか、減らすのか。大抵の場合は減らすんだけどね。それともミックスとかなのかな、とかいろいろ考えたときに、もうひとり、馬鹿がほしいっていうことになったんだよね。そしたら馬鹿がいたんだよ(笑)。「いたー!」と思って(笑)。

―― しかも同じ考えの(笑)。

上田 そう(笑)。あいつしかいないって。それこそ4時間くらいでやったのかな。1トラックずつヤマジにあげるって言ってやったんだけど、本当に一発録りみたいな感じで出来て。ヤマジは一回聴いた音は全部弾けるらしくて。そういう才能があって。

―― 上田さんはこのアルバムのリリースに合わせてライブをやってるんですが、ライブではこれらの楽曲をどうやって表現しているんですか?

上田 ほとんど弾き語りかな。プラス1(名)とか。札幌ではOLDの大野(量平)くんにベースを弾いてもらって。こないだは、かわいしのぶちゃんに弾いてもらったりとか。スティーヴ エトウさんとやったりとか、ヤマジとふたりでやったりもするし。どうしてもCDとの印象は多少は変わるだろうね。あらかじめアルバムを購入してくれた人が、そのライブを聴いて「ちょっとちがって面白いね」っていう感じもあるだろうし。今までの弾き語りのライブは座って落ち着いてやることがおおかったんだけど、今、立ってやってるからね。ちょっとロック寄りの表現になって、いい感じにみんなが捉えてくれてる。

(※ここでライブの音源を再生)

―― あ、なるほど。ポエトリー・リーディングのロック・バージョンというか、そういうニュアンスもありますね。

上田 ちょっと激しいバージョンというかね。今度、スティーヴ エトウさんとやるときはパーカッションのリズムが入るから、すごく楽しみだね。BAZRAのリズム隊と3人でやったこともある。今度、あらきゆうこと細海魚さんと3人でやるんだけど、そのときもスターリンをやると思う。

―― じゃもうライブは会場ごとに変化していくわけですね。

上田 今のところ弾き語りをひとりでやるライブが一番おおいんだけどね。誰とでも遊べるかなとは思ってる。

© 2020 DONUT

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INFORMATION


スターリンが聴こえる
2020年3月1日release
通販サイト:https://kamuyrecord.thebase.in/items/26743409

1.水銀/ 2. 365/ 3.下水道のペテン師/ 4.STOP GIRL/ 5.おまえの犬になる/ 6.玉ネギ畑/ 7.アザラシ/ 8.ロマンチスト

※ LIVE INFORMATION は公式サイトでご確認ください。

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