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2020.02.19 upload

DOUBLE SIZE BEDROOM インタビュー
ダブルサイズベッドルームは4人が揃ったことで、俺のなかで形になったんですね。 そのときから一切このバンドはブレてないんですよ
――但野正和

2017年12月、但野正和(vo&gt)が たむらゆうと(ba)と始動したDOUBLE SIZE BEDROOM。彼らはその後、テス山本(dr)がサポートから正式メンバーとなり、いったんは3ピースとしての形を作り上げた。しかし、バンドはさらなる模索を続けていたようで、2019年2月には鈴木太一(gt)をサポートギタリストに迎え4人組に。但野曰く「のれた」という新編成により、ダブサイの体制が整った。そして、4人になったことで但野の心境にある変化が訪れた。「用意された場ではなく、自分たちのタイミングでアルバムを作ってみたい」。この思いから事務所を離れ、本当の意味でイチからのスタートをきった彼らは昨年、自分たちの手で1stアルバム『地獄に堕ちたい野郎ども』を完成させた。しかも本作は普通の形態ではなく、60ページに及ぶコミック雑誌仕様のCDになっているという力作。編集者の視点でみれば突っ込みどころも多々あるものの、いわゆる大人たちの手を借りずに本作を作ったという熱量が素晴らしい。漫画から文字から写真から、現時点でのダブルサイズベッドルームと、音源のサイドストーリーがあふれている。肝心な音源も、バンドのゴリッとしたグルーヴを軸としながら随所に多彩なフックが効いていて、ダブサイの真骨頂と遊び心が融合した全12曲を収録。この曲たちはライブでさらに花開くので、ぜひ一度ライブにも足を運んでみてほしい。

●取材・文=秋元美乃/森内淳

―― ダブルサイズベッドルームは昨年、3人から4人組になりましたね。

但野正和 3人の評判もよかったと思うし、3ピースでいいって言ってくれる人もいました。もちろん3人でやっていたときも妥協しながら100%じゃない状態でライブをやっていたわけではないですからね。3人で活動していた1年間のなかでも「3人という形がいいのかも」とか「でもやっぱり4人でギターを入れてやりたい」みたいなところで揺れていて。ドラムとベースには「ギターを入れて、スタジオに入ってみたい」と言ってみたり「やっぱり3人でやろう」と言ってみたり、2人を振り回していました。結局のところ「俺がどうしたいか?」だったんで。それで、何人かスタジオに呼んでセッションしてみたんですが、やっぱりね、これぞというビジョンが見えるところまではいかないというか。

―― 但野さんのなかでは4人バンドのビジョンというかイメージがあったんですか?

但野 3人でやりながらも、4人でやったらこういうイメージになるだろうなっていうのが自分のなかで見えてたんで、セッションしたときに、そのイメージが消えちゃったらやるべきじゃないと思ってたんですよ。ところが、セッションをやってみると、3人のほうがいいイメージのときもあったりして。そういう意味ではもどかしい日が続きましたよね。

―― そもそも4人バンドにこだわった理由って何だったんでしょう?

但野 3人バンドと4人バンドではやり方がまったく別の方法になるんです。見せ方もそうだし、ギターを持たずに歌うことで、MCで話せることも変わってくるんですよ。だから、単にサウンドが厚くなるというだけじゃないんですよね。例えば、瞬間的に頭に浮かんだことを話すこととか、伝える内容とか、間奏中にとっさに浮かぶこととかまで違うんですよね、4人と3人では。3人ではそういうものがほとんどなくなっていますからね。

―― 3人バンドのときはステージでMCや歌のことを考える余裕がなかったということ?

但野 結局のところそうだったんじゃないですかね。

―― ギターを弾きながら歌うっていうことは但野さんにとっては意外と大変なことだった、と。

但野 大変なことでしたね。それは4人になってからも、あらためて思うし。3人のときは本当にギターを弾いて歌うことに必死でしたね。弾き語りとはまったく別なので。思い描いたこととなかなか直結しなくて、もどかしかったりもしましたし。

―― そこで鈴木太一さんが加入することになります。太一さんを選んだ理由は何だったんですか?

但野 1年間、ずーっと揺れる状態だったのに、太一とスタジオに入ったら、いきなりしっくりきたんですよね。曲も直感で弾いてもらったんですけど。

―― 突然しっくりきた?

但野 そのときはセッションに近い感覚で合わせていったんですけど、いろんな曲がパワーアップしたという感覚よりも「のれた」っていう感じですかね。ギターを弾かずにマイクを持って歌ったときに「体がのれた」っていう感覚なんですよ。ギターを持って歌っていたときに、表現できなかった歌い方とか、ギターを弾きながらだと到底できないような歌い方やリズムだったりとかそういうのができたんですよね。

―― 最終少女ひかさでボーカルだけをやる自由さを知ってるということもあるんでしょうね。

但野 そうですね。これから、ダブルサイズベッドルームでああいうライブもできる、こういうライブもできるというイメージも見えました。

―― ということは、ギター・サウンドというよりも歌のためにギタリストを入れたというニュアンスのほうが強いわけですね。

但野 あ、そうですね。それが他のギタリストでは思い描いていた感じが出なかったんですよ。のれなかったんですよ。「これだったら俺がギターを弾いて歌ったほうがまだいいな」って思ったんですよ。それがなぜか太一だとしっくりきたんです。太一のギターがサウンドの面でもめちゃくちゃ強力に作用するっていうことは、後からだんだん気づいていったんですが、その時点では、あくまでもバンドにのっかって歌えるということが重要でしたね。

―― 簡単な言葉にすると太一さんのギターと波長が合ったということなんですかね。

但野 ほんと、そういう感じですよね。

―― 太一さんとはどうやって出会ったんですか?

但野 太一が入ったのが2019年2月なんですけど、太一がいたバンド、Anger Jully The Sunのラストライブが2018年12月31日だったんですよ。太一の存在はもちろん知ってたんですけど、それまで対バンとか共演したことはなくて。ひかさのときに1回ぐらいあるかな。太一とはテス(山本)が高校時代からの友達で、それでテスがAnger Jully The Sunのラストライブを見に行って「太一のギターがよかった」って言っていて。それで「ちょっと聴いてみたい」というふうになって、テスが連絡したんです。ただAnger Jully The Sunがやっていたのはダブルサイズベッドルームがやろうとしている音楽ではなかったんですよ。だから最初はどうなるかと思ってたけど、太一のギターは幅広いんですよね。前のバンドが解散して「次、決まってる?」みたいなタイミングだったし、太一と一緒にやることにしました。

―― イニシャルもTだし。

但野 そうなんですよ! 誘った段階では頭文字がTとは気づいてなかったんですよ。あとから「太一、やばい頭文字T! イニシャル来た!」って。

―― 引き続き「頭文字T」を演奏できますね。

但野 ほんと、そうなんですよ。

―― その後、昨年は大きな決断として事務所(LUCKY HELL)を自分たちから離れたという、バンドにとって大きい出来事がありました。

但野 事務所を離れた一番大きな理由は、このフルアルバムを作りたかったっていうことが一番デカかったです。サポートしてくれる人がいる以上は、バンドだけでリリースを決めることはできないじゃないですか。もちろんお金も出してもらってるわけだし、事務所もメリットを感じないとだめだろうし。そんななかで、「もうちょっとこうした方がいい、ああした方がいい、こういうタイミングで出した方がいい」っていう状態がずっと続いていたんですよ。だけど、バンドは「やっぱり今出したい」という気持ちがあって。このタイミングでどうしても出したかったんです。あのとき、ほんとにメンバーがアルバムを作ることに対して熱くなってたし、ホットな状態で「この曲順にしたい」とかアルバムの理想を語っていたんですよね。そのタイミングで世の中に聴かせたかったっていうか。それと、自分が自分を信じられなくなったというか。そういう状況に陥ってしまってたところもあったし。

―― どういうことですか?

但野 スタッフのアドバイスや意見はめちゃくちゃ大事だと思うんですよ。自分たちがある程度バシッとアレンジを決めて、考えに考えてこのアレンジにして、これが正解だって思ったことに対して、スタッフはアドバイスをくれるじゃないですか。そうとは思えないときもたくさんありますが、それが良いほうに作用することもたくさんあるんです。もちろん正解なんてないということはわかっています。ただ、そうやってスタッフとやり取りをしていくなかで、自分がかっこいいと思うものを作るよりも、音源を出したいっていう気持ちが強くなっちゃって、スタッフの人がかっこいいと思うものを作るという考え方になってしまってるんじゃないか、と思い始めたんですね。

―― なるほど。

但野 そうなると「そんな音楽を誰が聴きたいんだよ?」って思うじゃないですか。で、「自分たちだけのセンスで何かやったことあるの?」って言われたら、ダブルサイズベッドルームは最初からLUCKY HELLにいたんですよ。最初の活動から見てもらって、アドバイスをもらってるんですよね。だけど、ダブルサイズベッドルームは4人が揃ったことで、俺のなかで形になったんですね。そのときから一切このバンドはブレてないんですよ。「スリーピースのほうがやっぱりいいな」とか思ったことはないんです。

―― そこで、事務所との関わり合い方を考えるようになったんですね。

但野 例えば、この4人だけのセンスで音楽を爆発させた上で、事務所やレコード会社がやって来て、アドバイスをもらうとかならわかるんですよ。ひかさはそうだったじゃないですか。ひかさの5人だけでいいと思ったものを作ったときに、LUCKY HELLが「サポートしたい」ってやって来たんですよ。ところが、ダブルサイズベッドルームは4人だけで何かを作ったことがない。最初からLUCKY HELLのスタッフがいたから、4人だけのセンスで何かをやったことはないんですよね。だったら、まずそれをしないといけないんじゃないかと思ったんです。マネージメントや多くの人に音楽を聴かせる方法とか、4人だけじゃできない難しいことがたくさんあると思うんですけど、あんまり先のことまでは考えないで、まずバンドが生まれた瞬間に普通にやることをやってみようと思ったんです。例えば、俺が初めて札幌でバンドを組んだときには大人なんていなかった。まず俺たちはそこからやってみないとなっていうのがあったんです。

―― 4人だけでやり始めてそれなりに時間が経ちましたが、今はどう思っていますか?

但野 やらないほうがよかったな、とは思わないですね。もちろん事務所があったほうがよかったこともたくさんあるし、今でもLUCKY HELLの人は好きだし、連絡も来るし。昨日も「下北沢に新しいライブハウスができるよ」ってLINEが来ていたし。でも、バンドがあるべき形、本当にバンドでスタートするべき形を4人で決められてよかったと思います。

―― そういう思いがあって、4人になって初めて着地したのがこのファースト・アルバム『地獄に堕ちたい野郎ども』なんですね。

但野 はい、そうですね。初めて4人でスタジオでアレンジを練りまくって、レコーディングしました。

―― CDはコミック雑誌仕様になっていて、60ページの雑誌にCDがついています。この構想はいつぐらいから練っていたんですか?

但野 そういう面白いアイデアはちょくちょく思いつくタイプではあって。ただ他人に言うかどうかっていうのはけっこうバラバラで。何しろホウ・レン・ソウが得意じゃないから。なんかでも、もともと全国流通しない音源のときに縦長のCDとか自主盤でリリースしていて、そういうのの延長線で雑誌にしてみたいというのがけっこう自分のなかにあって。それをメンバーに話しましたね。「雑誌にCDをつけて出してみたいんだよね」って。アルバムの曲順も決まってないときから「面白い、面白い」ってメンバーが言ってくれて。「いいっすねえ」って。

―― まるまる一冊、本を作るのは大変だったんじゃないですか?

但野 例えば、費用の面でいうと、普通にプレスに出すとケースに入れてもらって4ページくらいの歌詞カードしかついてないのにけっこうお金がかかるじゃないですか。だからディスクだけプレスしてもらって、本は本で注文して、自分たちでCDを貼り付ける作業をやったんですけど、そんなに費用の面では変わらないんです。自分らで考えてた「これぐらいの予算で作ろう」というなかでおさまって。しかも直前になってネットで色々調べたら、もっと印刷費が安いところがあって、紙質とかのサンプルもちゃんとチェックして。ただ、中身を作るのがきつかったですね。

―― 基本的には但野さんが描くマンガで構成されていますよね。

但野 自分が描きたいものが頭にあるんですけど、とはいえ、マンガを普段から描いてるわけじゃないので、いざやってみたら、果たしてこのクオリティの絵でいいのかっていう。もっと努力をすればいいんだけど、そうすると「マンガを描く努力をするって何?」って悩みそうになって。でもアルバムを出すことを決めて、メンバーでアレンジをめっちゃ詰めてレコーディングしたのに、マンガができなかったらリリースできないじゃないですか。マンガのせいで発売が遅れるって終わりだなあと思って。メンバーにもそれぞれのコーナーをお願いして。でもね、正直レコーディングが終わるまではマンガを描く余裕はなかったです。当たり前ですけど、盤の中身が大事だから。レコーディングに集中して。それが終わってミックスとマスタリングを調整している20日間ぐらいの期間で、締め切り直前の漫画家のように描きましたからね。だからもう味わいのみですね。ほんとにこのバンドのボーカルが描いたマンガっていう事実だけですよ。誰かにお願いしたマンガではないんです。

―― 表紙はデザイナーさんがやったんですよね。

但野 表紙のデザインとイラストは俺の好きなデザイナーのdEmさんにやってもらって。実は最初、dEmさんにマンガのストーリーを伝えてマンガを描いてもらえたらめちゃめちゃいいものができるんだろうなって考えてたんですよ。でもそれってめちゃめちゃdEmさんの負担がすごいんですよ。さすがにお願いする直前で踏みとどまって「中身のマンガは俺が描こうと思ってるんです」ってdEmさんに言って。dEmさんも提出期限のギリギリまで考えて、このデザインを出してくれたんで。

―― 自分たちでよく作りましたね。

但野 そうですね。これができたっていうのが、まずほんと嬉しいですね。

―― ものすごい熱量なんですけど、これは続けていくんですか?

但野 続けることができたらかっこいいですけどね。俺らのCDだけ本棚とかに並んでいくってかっこいいですよね。もっと面白いことを思いついたら、それをやるかもしれないけど。やっていきたいですね。

―― 肝心のCDのほうの手応えはどうですか?

但野 大好きなアルバムができた。今までは時間が経ってから、「あそこはああだった、こうだった」って、けっこう出てくるたちなんですけど。まったく不満がないかと言われたらありますけどね。俺の歌、もうちょっとレコーディングでねばれたかなっていうのはあるんですけど、それはでも本当にわずかで、いいものができたと思います。バンドだけでこれを作れてよかったって感じですね。レコーディング前までの準備が妥協なくできたかな。回数を重ねてきてるっていうのもあるんだけど、けっこうわかってきてるし。

―― 迷ったときの判断も自分たちでやったわけですが、そこのジャッジは難しくなかったですか?

但野 迷ったときに事務所に判断してもらうというよりも、LUCKY HELLにいた頃は、その頃はスリーピースだったんですけど、3人で音に関して議論することさえしなかったというか。どれが正解かっていうのを教えてもらってたという感じなんです。曲は俺が書くから違うんだけど、アレンジとかはそうだし。バンドで出した答えを聴いてもらって、LUCKY HELLの判断がないと進めなかったとしたら、バンドで議論する時間が無駄じゃないかってなってたんですよ。本当はそんなことはないんだけど。バンド内にそういう考えがなんとなく蔓延していたというか。だから自分らでこれっていうところまで楽曲を持っていくことすらしてなかったような気がします。

―― そこの意識は変わったんですよね。

但野 今回、この4人で作ったときに、個々のメンバーの「こうしたい、ああしたい」っていうのがめちゃくちゃ出てきて、それを俺は聞いてたっていう。正直、わかんない部分もたくさんあった。個々の音のこだわりになると、もうわかんないんで。例えば、「スネアのここをこうしたい、ああしたい」っていうのもそうだし。「まだミックスに時間がかかるの?」みたいな。「ドラムの音にこんなに時間をかけるの?」みたいな。それぞれが「自分たちが思ったものが世に出る」っていう自覚があったからこそ、だと思う。自分が出した音がお客さんにダイレクトに届くわけだから、楽器をやっている以上はとことん突き詰めたいし、自分が理想とする音を出したいっていう。たぶんそれを本当に自覚したんだと思う。レコーディングはそういう空気がすごくありました。

―― じゃあ個々がこのプレイでOKって納得するところまでやりきったということですか?

但野 そうですね。もちろん「ここはこういうほうがいいんじゃない?」って他のメンバーが指摘するところもあるんだけど、そういう部分を超えているものに関しては当の本人のさじ加減になってくるっていうか。出したい音になっていくっていうか。そこはもう詞を書いてメロディを作っている俺がよっぽど嫌じゃなければ。アレンジの段階で違うと思ったら言うし。そもそもメンバーが的はずれなことを言ってくることがなかった。とにかく予算も限られてたので、レコーディングの前までの段階をストイックに攻めましたね。3パターンくらいアイデアがあったものはレコーディングのときに決めて。もちろん新しくプレイをすることでアレンジが変わったこともありますけど。

―― 本当に4人でせめぎ合って作った作品なんですね。

但野 今までのレコーディングでこういうテンションを感じたことって、過去にやっていたバンドでもなかったし、もちろん過去のバンドとはメンバーが違うんで違うテンションになるのは当たり前ですけど、ダブサイがこれまでやったレコーディングでもなかったんで、それはすごい刺激になりました。だから俺も一生懸命やらなきゃというか、次のレコーディングまでにサボらずやらなきゃなっていうのはありますね。変わってないんだけど、言ってることは。「サボらずやんなきゃな」っていうのは。ただ、漠然と思ってたことがよりリアルになってきているというか、それがより濃くなってきている感じがしますね。

―― 楽曲も多彩ですよね。

但野 ダブルサイズベッドルームを始めた瞬間は、このアルバムに入っているこういう曲たちをやるイメージはまったくなくて。ひかさでやってたことを意識的にやらないで、男気一本のガレージ・サウンドと、歌詞も緻密にいこうかな、と考えてました。最初の4曲入りEPはけっこうシリアスというか、ちょっとゴリッとしたサウンドで。それは今でも好きです。だからダブサイを始めたときは、このアルバムのようにバリエーションがあるようなイメージは本当になかったんですよ。ちょっとコミカルな部分があったりとか。そういうものはビジョンとしてまったくなかったんです。でも、続けていくなかで、ひかさ的なことをわざと避けることはないと思うようになって。自分が嫌だと思う部分はもちろんやる必要はないけど、ひかさでやってたからと言って避けてるのは本当に意味ないな、と思ったし。

―― たしかに今まで押さえつけられていた歌詞がこのアルバムで解き放たれたような印象は受けますよね。

但野 そうなんですよ。過去のひかさの作品を見ていくなかで「いいな」と思うところもあったんですよ。そのなかで「わざとこの歌詞を書かないようにしてたんだ?」という気づきがあったんですよ。わざとわかりにくくしてたりとか。結局、歌詞の書き方にしても昔の作品を「ださいな」と思ってたんだけど、今、思い返したら「これがいいんだ」と思って。そういう部分も全然、今の自分はアリだな、と思って。そこはもういろいろやっていこうと思って。

―― ひかさの曲もダブサイのライブでやるようになりましたもんね。

但野 ダブサイのライブでひかさの曲をやるのをすごく嫌がる人がいると思うんですよ。それはすごく理解できるというか。でも自分が好きなバンドを見てて、昔のバンドの曲をやるのが嫌だという感覚は俺にはまったくないんですよ。例えば、ベンジー(浅井健一)とかもブランキー・ジェット・シティの曲をやるじゃないですか。いいなあと思ってて。だけど、嫌だという意見を聞いたことはあるじゃないですか。だからひかさの曲をダブサイがやるのは嫌だという人もいるんですよ。俺自身、最初それをすごく気にしてて。その人にとって大事なものなのかな、とも思うし、楽曲はそのバンドのものだと思うけど。でも、今はそこまで深くは考えなくなっちゃったというか。過去に俺が書いた歌詞や俺が書いたメロディを今のダブルサイズベッドルームで演奏してダブルサイズベッドルームの曲にできるんだったら、アリだなと思ってて。

―― そういうふうに割り切れたんですね。

但野 というか、ひかさの曲は、俺は弾き語りのときにやってるし。弾き語りでやってた曲をひかさでやったりもしてたし。その辺はぐちゃぐちゃなんで。「あーりんわっしょい」という曲もひかさをやる前に作って、違うバンドでやってたんですよ。

―― 「あーりんわっしょい」は最終少女ひかさの代表曲ですよね。

但野 実は、あの曲は最初、違うバンドでやってた曲なんですよ。それを最終少女ひかさを組んだときにやって。だから厳密に言うと、ひかさのオリジナル曲ではないんです。そういうことを思うとダブサイでひかさの曲をやることも深刻に考えなくなったというか。「俺にとっても大事な曲だしなあ」って。俺が歌いたいメッセージは昔も今もブレてないというか、まったく違いがなかったら、今、歌うことになんの抵抗もないというか。

―― ひかさの「商業音楽」の続編、「新約商業音楽」といった曲も生まれていて。

但野 あれ、最高ですよ。今、もっとかっこよくなってるんですよ。ライブでもやりこんで。去年(2019年)の12月の札幌ワンマンが終わってから作った曲なんですよ。曲は太一がアレンジしたんです。

―― 但野さんのなかでは、ダブルサイズベッドルームをカテゴライズするとどういう音楽をイメージしてるんですか? それともそういうものはないんですかね。

但野 そうですね。こういう音楽をやろうっていうのはないですね。

―― だけどアルバムを通して聴くと、サウンドの方向性とか質感はまとまっているというか、一貫性がありますよね。

但野 そうですね。そう思いました。

―― それはどうしてだと思いますか?

但野 このツアー中に「幅はもちろん広いと思う。いろんな曲がある。でも、いいことか悪いことかは抜きにして、飛び出したわけではないね」ってメンバーと話してたんですよ。俺、もっとなんかいろんな感じになるのかなって思ったんですよ、このアルバムは。例えば、LUCKY HELLにいるときとか、曲作りのタイミングで参考資料が送られてくるんですよ。今、こういうバンドがいますよ、みたいな。今、流行ってるバンドですよって。King Gnuとかも送られてきたんですけど、自分がああいう音楽をやれるわけないんだけど、でも、もしも俺がKing Gnuみたいな曲を作れたとして、メンバーもそれにのっかって、俺もいろんな声が出せたとしたら、もっとヴァラエティに富んだアルバムになると思うんですよ。だけど、俺はそんなに器用じゃないし。だから自分ができる範囲内での最大限のサウンドがこのアルバムだったんだなって今、思うんですよ。だからサウンドに一貫性があるというか。それは結局、俺が歌をうたっているわけだから、自分の持ってる声もそうだけど、俺ができることのなかに自分たちの音楽があるんだなっていう。だから飛び出さなかった。俺じゃないものにならなかった。自分じゃないものにはならなかったんですよね。背伸びもしなかったし、違うものになろうともしなかった。ダブルサイズベッドルームではないバンドになろうとしなかった。

―― 声は別にして、ダブルサイズベッドルームらしさをあえて言葉にするならどうなりますか?

但野 俺はやっぱり男気のあるガレージ・サウンドが好きですね。それからメッセージがあるものが好き。一見面白い曲でも歌詞を読んで意味がわかんなかったら好きにはなれないし。俺がずっと聴く音楽ってメッセージがあるものなんですよね。でもほんとそれだけなんですよね。いろんな音楽が好きだし、ヒップホップも好きだし、フォークも好きだし、アコギ1本の歌も好きだし。それは全部ダブルサイズベッドルームのやり方で入ってますね。

―― 現時点では今年(2020年)の暮れのワンマンライブまで決まってますよね。

但野 12月12日、札幌cube gardenです。350のキャパですけど、今のダブルサイズベッドルームでは楽に埋められるものではないですね。

―― 但野さん的にはどういうタイミングでバンドをどこまで持っていこうとか、そういうビジョンはあるんですか?

但野 それがないのが困ってるんですよね。

―― わりと行きあたりばったりなんですね。

但野 そうなんですよ。面白いと思ったことはやっちゃうんですよ。だからこのぐらいまでにこうしたいからこういう動きをしていかなきゃ、とかってあるじゃないですか。この目標を決めて、とか。そういうのが思いつかないんですよね。ライブで1年後のワンマンを発表したら面白いな、と思って、メンバーに内緒で動いて、ポスターを作って。そういう動きは楽しくてするんだけど。でも、それが今はひとつの目標になっていて、cube gardenを埋めるにはどうすればいいか、と。cube gardenまでの間の動きを考えるのがまた苦手なんですよ。

―― cube gardenまでに、こういう音源を出して、こういうメディア露出をして、こういうツアーを組んで、みたいなことは必要ですよね。

但野 そういう意味では、今年はちゃんと12月までに何かしらの音源を出せるように、5月までライブは決まってるんですけど、2月は1本もライブを入れてないんですよ。2月に制作しようって言って。で、5月以降はしばらくライブを入れてないんですよ。夏にはオリンピックもあるしな、と思って。その期間にレコーディングをしようと考えています。

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DOUBLE SIZE BEDROOM 『地獄に堕ちたい野郎ども』
※全60ページのコミック雑誌仕様
※ライブ会場/通販/タワーレコード渋谷店・大阪NU茶屋町店で発売中
1アカルイミライ/ 2 異常です/ 3 模倣犯深夜革命/ 4 まったくやる気がございません/ 5 だろうよ/ 6 まるくなった/ 7 粉砕玉砕大喝采/ 8 Rの強調/ 9 dawn/ 10 ロードムービー/ 11 DSB/ 12 もしも昨日に

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